「なめたらいかんぜよ!」のセリフが強烈なシーンとして残っている方も少なくない、この(鬼龍院花子の生涯)。皆さんにとっては馴染みのある映画かもしれません。
「どういうストーリーだったか振り返りたい。花子の最期や結末は...?」「原作についても詳しく知りたい」など、過去に見たことがあっても、もっと詳しく知りたい向けにお届け。
本記事の内容
- 本編のあらすじを詳しく解説
- 鬼龍院政五郎のモデルになった森田良吉について
- 本編で登場人物やキャスト
メガホンをとった五社監督が、スキャンダルで自殺をも考えた中で見事復活を遂げた本作の充実ぶりは、もう後がないと感じさせる監督の全魂込めた魂の結晶のような作品です。
主者となった夏目雅子さんが、自ら売り込みのために乗り込んだこの作品における執念は、他の女優さんたちが裸になって晒した演技を自らにも課したことの覚悟にも如実に表れています。
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「鬼龍院花子の生涯」あらすじ
鬼龍院一家の御柱、鬼龍院政五郎とは?
主線となる時代背景は、大正、昭和における土佐高知での任侠物語を1980年代に発刊された同じ高知県にルーツを持つ宮尾登美子原作による長編小説【鬼龍院花子の生涯】を題材にして作られています。
大阪界隈で一定の高名を築きつつあった鬼政は、地元の土佐高知に凱旋することになります。表看板として乾物商の商いを繫盛させながら、土佐高知での任侠一家として勢力の充実を図っていく過程で、家を構成する内部強化の一環で幼女縁組みの拡幅を図ります。
そのタイミングで、今回のメインキャストである林田松恵を引き取る所から物語は始まっていきます。極道の雑事における煩雑さは今も昔も変わることなく存在し、その身の周りを施す人材が必要でした。
鎬を削る地方渡世の厳しさ
大所帯での集団生活に戸惑う松恵でありましたが、ある時、一緒に連れて来た弟が寂しさのあまり脱走してしまいます。土佐における血統文化である闘犬に傾倒する鬼政一家は、闘犬での遊び場で同じ稼業で鎬を削る末永一家との因縁を被ってしまいます。
そのことは、後々鬼政自身や一家の運命にも大きな影響を及ぼしていきますが、末永と鬼政の双方が一目置く存在として土佐の重鎮である須田宇一という人物が仲介に乗り出してきます。鬼政は宇一の顔を立てる形で一旦は仲裁の要請を飲みますが、その因縁は時限爆弾のように火種となって残ってしまいます。
着実に成長遂げる利発な松恵
家中を健気に働く松恵は、一家の人兵や、妾らの可愛がりの中、すくすくと女性としての成長を遂げていきます。ある時、鬼政の伽の場で妾同士のいざこざが噴出します。
鬼政を中心に松恵を含めた4人の揉め事を松恵らしい真剣な眼差しで止めさせようと必死になりますが、鬼政はやめるどころか女同士の張り合いを見せるように促し、けじめをつけるように諭します。
喧騒の最中に松恵におりものの兆候が現れ、松恵の女性としてのレベルが一段と向上し、本当の女性として立場を確立していきます。聡明で器量良しの松恵は、元来の博学心から高等女学校への進学を父である鬼政に懇願します。
女としての充実ぶりを見せていく中で、妾つるとの間にできた花子の存在が、益々松恵の美しさと華やかさを際立たせることになっていきます。
闇の帳が刻々と押し寄せる鬼龍院一家
高知電鉄のストライキ騒動をきっかけに鬼政と周知の仲になった田辺恭介は、拘置所で面会した名代の松恵に見それてしまいます。恭介は意を決して鬼政のもとに松恵を譲り受けたいと申し出るも、極道特有の言いがかりをつけられることで思わぬ心傷を被ってしまいます。鬼政の倒錯した歪みの愛情に抗う松恵でありましたが、必死に一家の支えとなりながらも一人の女性としての満足感を模索する日々を過ごしていきます。
堅気の人生になれない世間の夜風に当たったのか女主人である歌が突如腸チフスにより急逝してしまいます。失意の松恵でしたが、大阪に居を構えていた田辺恭介との同棲生活が始まりささやかな幸せをかみしめていきます。一方、鬼政一家にも不幸の帳が堰を切ったように押し寄せる事態に遭遇します。
花子の許婚であった権藤哲男が抗争事件により殺害され、花子の情緒が安定を保てなくなるほどに病んでいきます。
土佐高知で華やいだ任侠一家の散り花とは
郷里を懐かしんだ恭介と松恵は、故郷土佐高知への見舞いをすることを決意して訪れます。しかし、迫りくる暗雲の闇は留まることを知らずにとうとうこの両人にも訪れてしまいます。
母屋で休んでいた恭介は、何かに憑かれたように外出する花子を心配して尾行します。そこを敵対する末永一家に襲われ、花子は拉致され、恭介は無残に殺傷されて亡くなります。
このことをきっかけに両団体による全面戦争が勃発しますが、勢いの興隆の差を示すように鬼龍院家の幕尻が目に見えて迫り来るようになります。意を決して花子奪還に向かう相良と鬼政ですが、花子の目を覆いたくなるような咄嗟の行動に、全身の力が抜けるほどのショックを受けてしまいます。
失意のどん底に突き落とされた鬼政は、数年後、獄中で亡くなります。花子の不幸の後追いを見届けた松恵は、一人桟橋に佇み涙を流して去りゆきます
「鬼龍院花子の生涯」登場人物
鬼龍院政五郎(仲代達矢)
鬼龍院家の総元締めであり家長。大阪で極道としての道に入ることになった鬼政こと鬼龍院政五郎は、故郷の土佐高知で侠客としてのキャリアを積み上げるべく戻ってきます。
大戦における浮足立った日本の興隆そのものに鬼政自身も表看板の乾物商を掲げながらついていこうとしますが、混乱した時代背景と鎬を削る同業者との歪の中で奮闘する人間臭い人物像をドラスティックに一本気に生き抜こうとします。
幼い松恵を引き取って殊勝に養育しますが、裏を返せば、私利私欲を極限まで達成させる男の野心が、松恵の人生ともオーバーラップしてくる二面的な男性像とも言えます。
松恵(夏目雅子)
12歳の頃に、林田家(鬼龍院家)に幼女として迎え入れられます。幼くして家長鬼政の身の回りの世話をすることになった松恵は、女性としての強さと賢さを順調に育みながらも自身の生き方を懸命に模索していきます。
鬼政の反対を押し切り高等女学校の入学を勝ち取った松恵は、世間とのつながりに不憫さを感じながらも教師としての確かな道を歩みますが、相次ぐ肉親の不幸や任侠との抗争で人生の悲哀を感じながら健気に前を向いて生き抜いていこうとします。
この映画に終幕で訪れる桟橋での佇むシーンは、任侠女性の生き方の儚さが美しく切なく表現されている松恵のクライマックスシーンになっています。
幼い頃の松恵(仙道敦子)
12歳の頃に鬼龍院家に貰われることになったシーンからの登場で、幼く純で初心な少女が貰われ先の鬼龍院家になじまず、勝気な少女の設定になっています。同じく連れ子となった弟拓をかばいながら新家に馴染もうと努力しますが、その弟は一日と持たずに逃走します。
残された独り身の松恵は、頼るのは自分しかいないと腹をくくり、敏いことも周りに歓迎され着々とお家のアンテナとして成長します。後に続く大人バージョン(夏目雅子演じる松恵)にも通ずる勉学に執着する場面や、女同士の痴話げんかでの鬼政に対する感情をぶつける場面は、利発で物事に鋭敏な松恵だからこその演技と言えます。
歌(岩下志麻)
歌は、鬼龍院政五郎の正妻であり、お家の御意見番的存在であります。大所帯の女将さんであることを強烈に意識し、女中どころか子分までもが一目置かざる負えない厳しい態度をとります。貰い子となった年端もいかない松恵に対しても、容赦ないしつけで有無を言わせず従わせ、亭主である鬼政の官房となることで完全にコントロールしようとします。
大酒飲みでそれがたたり身体を壊して急逝してしまいますが、家長鬼政が最も愛した女性であり、松恵の健やかな成長もしっかりと身を賭して育んだ律儀で古風な女性です。妾のつるが産んだ子、花子を実子のように溺愛し育成しますが、偏った愛情により結果的には彼女を不幸から救うことができない悲しい運命を辿ります。
花子(高杉かおり)
鬼政と妾の子である花子は、この物語の苦悩を一身に背負ったような趣で描かれています。生まれながらにして極道看板での悠悠とした生活のおかげで、何不自由なく育った花子は何処かに何かを置き忘れたような性格も災いし、段々と血まみれの血族の運命に吸い込まれるように落ちていきます。
この少し残念な少女像は、原作者宮尾登美子氏が松恵を通して描き出すことで、お家の運命と命そのものを差し出しながら生きる儚いカゲロウのごとく振る舞う健気な女生とをリンクさせて表現しています。決して豊かな表現で喜怒哀楽を示すキャラクターではないことが却って物語の儚さを助長している、そんなキャラクターです。
牡丹(中村晃子)
鬼政の妾であり、松恵のよき理解者です。女将の歌に従順しているそぶりを見せるも、心の中では軽蔑していることを公言することもある勝気な女性。後付きのつるを不遜で卑しいと卑下しますが、他の女中を可愛がり纏める役を買って出ます。
政五郎の寵愛を受けますが、つるに実子ができてからは次第に立場が薄くなります。土佐電鉄を牛耳っている須田宇一の息がかかった女性として宇一自身から紹介されますが、後半劇中に登場しなくなるのも宇一を裏切った背景が関係していることを想像させます。
つる(佳那晃子)
ご当地の土佐犬を使った闘犬上の一件で鬼龍院一家との禍根を残すことになった末永一家は、女房の秋尾を鬼政の元へ送り込んできます。
その場は手落ちをすることなく解散となりますが、手持ち無沙汰となった鬼政は会談場所となった料理屋の生娘つるを手籠めにして持ち去ります。つるは、はじめ強引に拉致されたことに不快感を表しますが、次第に絆されて一家の毛色に染まっていきます。
ほどなくして実子の花子を生みますが、晩年はどこぞやの女郎界隈に出奔してしまいます。妾連との折り合いが悪く、世話焼きの松恵とも屡々衝突します。
相良(室田日出男)
鬼龍院一家の武闘派参謀的存在で、鬼政が最も信頼を寄せる幹部の一人。気が優しく力持ちを地でいく生粋の無頼漢タイプで、弱きを助け強きをくじく優しい叔父さんです。主者の松恵が度々ピンチに陥るとすぐさま駆け付け助け舟を出す正義の味方です。
松恵からの信頼も抜群で、相良からはまっちゃんと呼び松恵からはおっちゃんと言い合うほどの信頼関係が築かれています。最後の決闘シーンで、最後の最後まで親分の鬼政に随従する身命を賭しての心意気が清々しいタイプの子分です。
兼松(夏八木勲)
先に紹介した闘技場の件で鬼政一家に下った義誠心が旺盛な男性。闘技場で理屈にそぐわない因縁をつけられて後に愛犬の(かいじん)土佐犬をなぶり殺しにされた強い恨みを持ちます。
それはまたしても末永一家の仕業と判明することで、兼松の復讐心を拾い上げた結果、兼松もお家に加わり後の抗争へと繋がっていきます。同じ構成幹部である相良とは一味違い、どこか遠慮がちな距離感で親分である鬼政と家中との距離感を測ろうとします。
相良が家族的なサポートをする役回りだとすれば、兼松はお家運営に向けての情報収集活動を担当する役回りです。
田辺恭介(山本圭)
地元商業高校の教師出身で、正義感にあふれる庶民の味方を自負する社会活動家。土佐電鉄を巡ってのストライキでは、労働者側に立って労働環境改善を声高に主張します。初めは敵対関係にあった鬼政との関係も、松恵との馴れ初め以降は徐々に穏便になっていきます。
かなりの頑固者で強烈な正義感で泣く子も黙る鬼政との攻防でも引くことなく対峙します。最後まで誠心誠意を尽くし松恵との希望ある未来を標榜しますが、思わぬ展開からお家騒動の渦中に埋もれていきます。
秋尾(夏木マリ)
鬼龍院一家の宿敵のライバルであり、決して並び立つことがない憎き末永一家の組長である末永平蔵の恐妻。猪突劇場型の女番長である秋尾は、口や態度がめっぽう悪く切れると興奮が収まらない破壊型女性です。
男社会が大勢を占める任侠社会にあって己の主義主張を外連味なく吠えまくる姿は夜叉の如く振る舞う姿勢に現れています。少し旗色が悪いと、手段を選ばず罠を仕掛ける狡猾さをも持つ女狐タイプとも言えます。
鬼龍院一家とは一味違った気風を吹かせる秋尾は、歌とは違った処世でしぶとく生き抜こうとします。
須田宇一(丹波哲郎)
鎬の覇権を命がけで争う鬼龍院一家とライバルである末永一家とのパイプ役を請け負う政財界の重鎮。公私共に世話になっている鬼政は、何かとぶつかってしまう末永の存在を訝しく思っているが、同時に宇一の舎弟分となっている末永を真正面から攻めることが出来ず心苦しく感じてしまいます。
そんな煮え切らない想いを拭うように須田宇一の元を離れることを決心した鬼政は、とうとう全面戦争に突入してしまいます。ストライキが頻発する高度成長期に向かう象徴的な存在として、このような人物が実存しました。
妾の牡丹の後見となっていることも鬼政の気勢を削がれている一因となっています。
小ネタ
なぜ、幼くして松恵は鬼政の所へ家入りしなければならなかったのか?
激動の明治期が終わり、日本の近代化に拍車がかかる前段での地方産業は、今だに未熟な統制が幅を利かせる不安定な世情を抱えていました。表立ったフォーマルな養子縁組制度など皆無に等しい世の中で、任侠世界における人身売買の横行は、決して一般社会が目にすることはありません。僅か12歳という年齢で他家に売り飛ばされるという人知非道な扱いを受ける松恵の心情は、相当な気重であったことが容易に想像することができます。
大正、昭和の都市伝説的な昔話は、嫁盗みや人攫いなどで古来の日本で実際に起こった伝承として語り継がれていますが、この松恵に関しても、そんな混乱した時代から近代化を遂げる日本の膿みたいなものが、幼く美しい少女の身に降りかかったと見るべき事象として描かれています。
やくざの抗争と電鉄のストライキがなぜ、リンクしてくるのか?
大戦での戦勝気分に酔いしれる暇もなく日々の生活に奔走させられる日本の社会情勢は、貧しいものと富めるものが入り乱れる混乱の時代を迎えつつありました。大阪で、任侠世界での仕来たりや作法を叩き込まれた政五郎は故郷土佐に戻り自らの看板を掲げながら立身出世の道を模索していきます。
この政五郎の実際のモデルとなった人物は、四国における任侠世界を牛耳った森田良吉をモデリングすることにより、より一層の臨場感を持って生々しく描くことに成功しています。劇中の鬼政こと政五郎は、義理人情を重きに置く性分を振りかざし独自の差配で社会の歪に潜り込む巧妙な術を心得ていました。
そんな、人々が不満と感じる社会の鬱憤を自らの懐に閉じ込めることで上手く発散させるように仕向けます。
労働争議やストライキでの任侠世界との関係は、そういった善悪の判断がつきにくい微妙な問題の隙を縫うように確固として存在したのです。
ヒロインは、本当は夏目雅子ではなかった?
当初予定していたヒロインに関する五社監督の想像は、ある程度漠然としたイメージを持ちつつもしっかりと確定させることができなかったようです。
数々のオファーをアナウンスした女優人たちからのけんもほろろな態度は、五社の心を打ちのめすには充分な効果を持っていましたが、この映画にかける情熱と執念が五社の不屈の魂を湧き立たせるエネルギーの源となっていたことで、その選考は決して諦めることなく続けられていきました。
東映の看板映画として売り出す覚悟と気概が充実していた当時のスタッフたちは、イメージとする当て込みの段階で纏まらないヒロインに苛立ちを覚えながらも粛々と作業を進めていきます。
ある有名女優にフォーカスして人選を進めていても埒が開かない過程で、ある時、新進気鋭の若手女優が乗り込んできます。
それが、本作での大抜擢となった夏目雅子さんでした。
この本作がきっかけでスター女優の階段を一気に駆け上がることとなります。
失意の五社監督を復活させた映画誕生の立役者
この日本における女流任侠映画史に燦然と輝く傑作を残すことになった本作は、前述のように奇跡のような紆余曲折を経て完成に至っています。メガホンをとった五社監督は、出自がテレビ局員であったため映像製作のプロフェッショナルとして蓄積されたスキルを保持していました。その片鱗をいかんなく発揮することになったこの映画の趣は、そんな五社監督のテレビマンとしての才能が爆発している作品と言えます。
順調にキャリアを積み上げていた五社監督でしたが、思わぬスキャンダルで不遇な境涯に転落してしまいます。自身の軽犯罪行為や肉親の事故、そして癌による闘病や愛する妻との離婚など、自らを取り巻く激変する環境についていけず常に沸き起こる自殺願望との連続した戦いが不屈の映画監督、五社英雄を育んだ遠因と言えるかもしれません。そんな不安定な五社を陰から支えたのは、東映の岡田茂社長でした。岡田社長は、この映画を五社にやらせろ、とスタッフ一同に指示したことで映画史に残る秀作が誕生したのです。
まとめ
女優の梶芽衣子さんが、再三にわたり出演の意向を示していたことがよくわかるほどの名作だと感じます。他の演者さんをはじめ、この作品が出来たタイミングや偶然の重なりみたいなものは、この映画が天から降り注いだ贈り物のような気がしてならないほどの感動を覚えます。この映画は、ただ単に男の意地や女の性をひけらかすような構図にならないことは、一度でもこの映画を見て頂ければご理解していただけると感じます。
この後に続く極妻シリーズや、女囚シリーズなど、女性の社会進出が顕著になっていく過程で力強くスタイリッシュに変貌する女性軍団の変わりようは、それまで培ってきた男性社会が直面する脅威だと捉えることができます。
若くして突然の病により亡くなってしまった夏目雅子さんの遺作のように扱われてしまうこともある本作は、そんな夏目さんの未来に送る女性たちへのエールだと感じるのです。